2011年6月17日金曜日

興学私議とは。小林虎三郎より。

新潟長岡に、江戸時代に長岡城が、あった。現在、城の中心部に国鉄の長岡駅が占めている。
この、長岡で、米百俵、の話が有名である。
飢饉が続き、当時、明治の初めには、元武士の連中でさえ、一日3食のおかゆも、食せぬ程の苦しさに、巻市にある藩からの義勇米が、百俵送られた、武士連中は、コレでたらふく米が食えると思ったが、コレを武士連中にわけたら、一人当たり、3日分の米にしかならない、それよりも今不足しているのは、優れた人材を育てる学校が必要であると唱えたのが、小林氏であった、虎三郎は、教育は国を助け、国を富にすると訴えて、武士達になんとしてでも、米の金で、学校を作る事を唱え、
出来た学校は、その後、有名な学者を多く生んだ、

有名なひとりはで、山本五十六、この卒業生である。
以下、虎三郎の文面を紹介する。


文武百官は皆、職名をつけているが、実は虚名であって、何も学んでいない。また学者は私見を述べるだけで、意見を交換したり、互いに学び合うことをしない。兵を知らないものが軍を率い、学ばざるものが執政の職にあるという風である。ところが西洋の様子をみると、その学問の精密なことに驚く。しかも学校を興し、人材を養成し、兵を強くしている。しかるに我が国は改革の命が下って6、7年もたつのになんの効果もあがっていない。これはすべて人材に乏しいからである。
 では、教養を広め、人材を育成するとはどういうことか。それは道と芸である。道は人の生きるべき体(道)を明らかにする。芸は用を達す、つまり実際に事を処理する術をいう。この二つは離れてはならないものである。今、江戸では大学(昌平黌)、講武所、蕃書調所があるが、三者の間には何も連絡がない。これでは効果があがらない。学の閉鎖性を破るには、三者が密接に統合されるべきである。その三学の制より、もっと根本的に考えなければならないのは小学である。西洋では、この小学の法がよく整っていると聞く。基礎から人材を養成していけば、国は富み、兵は強くなる。だから国家は、学問を興し、教育を普及させ、人材を育てて、世界の国々と肩を並べるべきだ。」と論じている。